小さい頃から空想好きで、よく自分の中で物語を作っていました。それを文章にするようになったのは小学生の頃、初めは親に買ってもらったリングノートと2Bの鉛筆で一所懸命、物語を書いていました。本を読む事も好きで、色んな知識を仕入れてはそれを活かせる文章が作れないか、試行錯誤する事も好きでした。
高校に入った時も、上手くクラスと馴染めず孤立していたのですが、小説を「書く」という行為にとても助けられていました。その頃は、さすがにノートと鉛筆ではなく、スマホで執筆し、サイトに投稿するというような形でしたが。
しかし、私が就職してからは、毎日が忙しく、働き詰めで、書くことは次第に出来なくなっていました。単純に時間がない、ということと、今まで自分では気付いていなかったのですが、自分自身、思っていたよりもストレスに非常に弱い繊細な人間だと薄々自覚し始めたからです。
心の余裕がなくなっていった私は、仕事でミスを連発し、業務時間外に本社に呼び出され説教されたり、お客様から激しい罵声を浴びせられたり、また、同僚からある種差別的な目で見られて距離を置かれるなどの状況にありました。
やがて私はストレスが原因で口内炎が一度に五つほどできるようになり、喋ることも話すことも辛い状態になりました。そこからは淡々と災難がやってきました。免疫が低下したところで帯状疱疹にかかるし、迷走神経反射を起こして電車や会議中に倒れるなど、心身ともに追い詰められていました。
さらに、電話対応が主な仕事だったのですが、突然コール音を聞くと体が固まって受話器を持ち上げることができなくなったのです。後に会社からほぼ強制で受診を勧められた為、重い足を引きずってくぐった先は心療内科・精神科。そこで私は「適応障害」だと診断を受け、結局仕事は辞めなければならなくなりました。
自宅療養中も抑鬱や意欲低下、強い不安感、焦燥感に苦しめられ、簡単なことをするのにとても大きなエネルギーを消費しました。生きる気力を無くし、いっそのこと死んでしまおうと遺書を書いて自殺未遂を図ったこともあります。
これまでの経緯が少し長くなってしまいましたが、今、私がどうなっているかというと、現在は「適応障害」から「解離性障害」に診断名が変わり、また別のメンタル的な問題を抱えています。
その為、離職してもう3年弱経とうとしている今も、まだどこかに就職するという事ができていません。
私の「解離性障害」の症状には人格交代も含まれるので、アルバイトを行うにも諸々問題が出てくるのです。たまに記憶が飛んでしまう事もあるので、私は記録代わりに毎日日記をつけることにしました。それが、再び私と文章が巡り会った瞬間です。
書いている時だけ、私はこの世界で呼吸出来ているのだ。そう思えるほど、何故か高揚感に似た感情がどこからか湧いてくるのです。私はこれを磨いて武器にしたいと思い、今のような文章作成のお仕事を少しずつこなしている最中です。
そして、書くことを思い出してからは、それまで私のストレス発散方法と言えば「自傷行為(リストカット・自分を殴る・頭や体を強く壁に打ち付ける等)」ばかりだったのですが、それが全て「書くこと」に変換されるようになりました。
怒りも喜びも悲しみも全て文字に変換してノートに書き綴ります。文字にできない時はボールペンを握りしめてただただ真っ黒にページを塗りつぶしたり、思うままにデタラメな線を書いたりします。とにかく、ノートに、文字に、ペンに、すべてをぶつける。それが私の見つけた健全なストレス発散方法です。
また、たまに叫び出したいような、破壊衝動のようなものが押し寄せて来る時があるのですが、そういった時はV系の激しい楽曲を聴いて、私の代わりに叫んでもらったり、ギターを壊してもらったりして発散しています。
ピアノと密接な関係にある人は、感情をピアノで表現することがよくありますが、私にとって文章を書くということは、ピアノの鍵盤に思いを叩きつけるのと同じくらい強いものです。
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